2014年12月、伊東線の乗り潰し/停車場線制覇の後、更に東京を離れて沼津へ。そして、沼津にあるカーシェアを利用してちょちょっと周辺地域の県道やら何やらを見て回ったのだが、その中に、2015年7月5日世界遺産への登録が決定した「韮山反射炉」の名前が付いた県道があったので、レッツレポート。
Information
路線: 静岡県道132号 韮山反射炉線
起点:伊豆の国市中(韮山反射炉前)
終点:伊豆の国市南条(R136交点)
延長:1,421m
沿線:伊豆箱根鉄道駿豆線 伊豆長岡駅、国指定史跡/世界遺産 韮山反射炉
走行:全線(終点→起点) 2014年12月14日撮影
Report 1/1
 反射炉 1.4km

 R136を修善寺方面へ走る途中、「反射炉」と書かれた観光地風案内標識が現れる。国道と反射炉を結ぶr132はこの先の交差点から始まる(実際は終点)。

 県道132号終点

 国道側から走ると青い案内標識の類は無いが、この交差点がr132韮山反射炉線の終点となる。
 左折してすぐに伊豆箱根鉄道駿豆線と交わる踏切。

 この地点から見て左側数百mの位置に、主要駅の1つ伊豆長岡駅が存在する。駿豆線は1898年に現三島田町-現伊豆長岡が開業して以来、100年以上の長きにわたりこの地域の輸送を担ってきた。それもあってか、駿豆線の駅には多くの停車場線が接続しており、この日にはそういった停車場線の幾つかを撮影いる。いずれレポート化する予定なので、駿豆線の話はこの辺で終わりにしよう。
 ここでr132の県道標識。どこか他の場所でも言及した気がするが、静岡県道は県道標識に恵まれている。
 塀に囲まれた立派めなお宅が道路沿いに立ち並ぶ伊豆の田園風景の中を走る。

 航空写真で見ると農地と宅地の境界ははっきりしているが、県道クラスの道はそういった宅地の塊を結ぶように走るので、意外と窮屈。
 ↑ 反射炉 1.0km
 ← 蛭ヶ小島 2.0km

 反射炉の英字表記がここでは「Hansyaro」になっている。ちなみに県道の入口とこの先反射炉の手前にある茶色い標識は静岡県設置で、英字表記は「Reverberatory furnace」と立派な英語である。
 ではこの標識は・・・、ストリートビューで確認したところ、旧韮山町が設置したものらしい。英字表記のブレやお粗末な表記は全国普遍的に存在するが、設置主体が市町村になったり、そもそも古かったりするとその傾向が強まる。
 1つ上の画像で奥に見えていた信号交差点を直進すると、またr132の標識が登場する。

 先ほどスルーした「蛭ヶ小島」とは、源頼朝の流刑地とされる地名であり、遺跡の名称である。1790年に江戸時代の学者が当地を流刑地と推定したことをきっかけに石碑が建てられ、現在では公園として整備されている(歴史民俗資料館もある)が、実は頼朝の件に関して真偽が明らかになっていない。
 歴史的有名人の墓が複数あるのと同じようなノリだろうか・・・?
 しばらく走ったところで左にカーブ。右側は住宅が並ぶが、左側は農地が広がる。

 この周辺は稲作もさることながら、冬期の温暖で晴天の多い気候を活かしてか、ハウスでのイチゴや野菜の栽培が盛んだ。
 左カーブを終えた先に茶色い標識と横断歩道のある交差点が見える。

 どうでもいいが、この写真はたまたま電線から飛び立つ瞬間の鳥がちょうどいい位置に写り込んでいてそっちに気を取られる。
 r136函南停車場韮山反射炉線との交点。韮山反射炉はここで右折0.3km。

 r136はR136よりも山側を並走して函南まで北上する県道である。頻繁に曲がり角があるが、周りに建物が少なく、条件の良い日は正面に富士山が大きく見える地味に眺めの良い県道である。ちなみに、函南町役場のあたりで国道と県道は再接近するが、残念ながら交わることはない。
 反射炉が近いが、センターラインがない。
 で、人家の集まる集落を抜けるとこんな景色。

 県道オーラ無いよな・・・

 実は既に反射炉の一部が見えているのがお分かりだろうか?
 農道チックな道に不安を覚えながら更に進むと突き当たりが見えてくる。写真には写っていないが、あの煙突がもっと大きく見えてきているはずだ。

 県道132号起点

 道路は画面奥で左にカーブしているが、写真に見える範囲で突き当たりとなって途切れる。おそらくそこが、r132起点と思われる。

 撮影時は駐車場に入るために道路を逸れている。

 韮山反射炉(世界遺産

 奥に見える特徴的な塔のある部分が反射炉である。手前に見える木造の建物は資料館であり、反射炉の真ん前まで行って見学するには一旦資料館に入って入館料(大人100円)を払う必要がある。

 撮影当時、資料館の2階部分には「世界遺産推薦決定!」なる横断幕があったため、「これがまさか世界遺産に・・・!?」と思っていたが、実際に登録されるとは。
 全景としてはこんな感じ(国指定史跡であることを示すプレートと一緒に)。高くそびえる「塔」は煙突であり、同じ伊豆の河津で生産された耐火煉瓦からなる。煙突の「×」模様は建設以後補強のため設置された鉄骨であることに注意。煙突の下にある暗い灰色の構造物が炉体(焚口側)である。

 反射炉とは高炉と同じくて鉄製品(大砲など)を鋳造する際必要な「液体の鉄」を作るための炉であり、17-18世紀にかけてヨーロッパで発達した。反射炉の「反射」は焚口で燃料を燃焼させて発生した炎と熱をドーム状の天井で反射し、煙突の真下付近に集中させることにより高温を実現する仕組みであることによる。
 この写真に映っているのが鋳台の跡である。大砲を鋳造する際に必要な「型」を画像右下の赤い石が敷き詰めてあるあたりに埋め、画面中程にある黒い扉状の構造にそれぞれ2つ開けられた「出湯口」から熔けた銑鉄を型に流し込むことで鋳造を行っていたとされる。

 韮山反射炉は1854年6月起工、1857年11月竣工と正に幕末期に建設された製砲工場(の一部分)である。この炉の建設にあたる責任者が伊豆韮山代官、江川英龍(太郎左衛門)である。江川英龍は近代的な海防政策を幕府に進言し、「お台場」こと品川台場の築造にも大きく関与している。
 これは反射炉の脇に置いてあった、鉄製24ポンドカノン砲の再現(設計図は当時、鋳造は現代)。韮山反射炉で鋳造され、品川台場に配備されたものと同型と思われる。実際、品川台場のうち第一台場には80ポンド砲10挺、24ポンド砲2挺、12ポンド砲12挺・・・などなどが配置されていたようだ。

 最後になってしまったが、これらの砲・砲台(台場)・炉(反射炉)は簡単に言えばペリー対策である。アヘン戦争の頃から課題となっていた軍事力強化という問題に対し、1853年のペリー来航を受け急ぎ足で海防体制の強化に乗り出した結果建造された。
Impressions
 この県道に興味を持ったきっかけはWikipediaの「静岡県道一覧」と地図を眺めながら沼津近郊の走破可能な県道を調べていた時「韮山反射炉線」という一見何のための路線か全くわからない路線名を見かけ、「寺や山に繋がる路線も数少ないが、に繋がる都道府県道って多分レアだよな」と思ったことだったりする。

 「反射炉ってなんだ?増殖炉みたく何か産業上重要なのか?」と思うが、この地域にそんな大規模施設があることは知らない・・・

 で、「韮山反射炉」で検索すると国指定史跡であることがわかった。「あぁなるほど、観光地線か・・・!」

 という経緯で撮影候補に入れていたこと、韮山が思ったより近く意外と時間を確保できたことから、この史跡を見学することになったわけである。


 しかし、「世界遺産推薦決定」の横断幕から半年強、本当に世界遺産に登録されるとは。
 産業遺産って歴史的有名人との関わりが薄く重要性が身近に感じられないこと(神社仏閣や墓、ゆかりの地などと違って)、建物の外観が美しいというわけでもないこと(庭園、城などと違って)、どことなく暗いイメージが付き纏うことなどなどがあり、確かに観光資源としてこれまで重要視されてこなかった印象がある。

 韮山反射炉は、実稼働した反射炉が現存している例としては非常に貴重であるとともに、幕末の海防政策に関する史料としても重要性が高いことが調べていくうちにわかった。訪問した時の感動はあまり感じられないかもしれないが、そもそも「世界遺産≠観光資源」なわけで、開き直って訪問してみるのが良かろう。

Links
 伊豆の国市/国指定史跡韮山反射炉
 パンフレットのPDFデータなど情報が揃っている。本文中の一部で参考にさせていただいた。

 韮山反射炉 - 明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域
 世界遺産登録推進協議会による情報。記述はパンフレットとほとんど変わらないが、今回登録された「産業革命遺産」の他の構成資産についても見ることが出来る。

 首都高速11号 台場線
 ここ韮山反射炉で鋳造された大砲は、江戸港の海防のために同時期に築造された品川台場に設置されたことから、実はレインボーブリッジ抱える台場と関連のある場所である。

 東京都道480号 品川埠頭線
 江戸に築造された台場のうち、第一台場はのちに周囲が埋め立てられ現代のコンテナターミナルの1つ品川埠頭の一部となった。参考までに。


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最終更新日:15年7月11日 inserted by FC2 system