東京は日本の政治の中心地であり、経済の中心地である。そして、経済の中心地には大きな物流拠点が伴って置かれている。今回は、港町東京の側面が垣間見える埠頭線の1つ、品川埠頭線をレポートしよう。
Information
路線: 東京都道480号 品川埠頭線
起点:港区港南一丁目(r316支線/旧海岸通り交点)
終点:品川区東品川二丁目(r316・r317/海岸通り交点)
延長:2,213m
沿線:東京モノレール/東京臨海高速鉄道りんかい線 天王洲アイル駅、東京入国管理局、港清掃工場 他
走行:全線(終点→起点) 2015年5月3日撮影
Report 1/1
 左折:r316/海岸通り 新橋 芝浦
 直進:r480 品川ふ頭 湾岸道路
 右折:鮫洲 

 品川駅方面からr317湾岸道路方面へ走る際のワンシーン。
 天王洲のビル群を結ぶ連絡通路が道路を跨ぐ。

 天王洲アイルの再開発は比較的最近、民間が主体となって行われた。東品川二丁目(撮影地を含む島状の埋立地一帯)の再開発計画が策定されたのは1986年、モノレールの駅開業、高層オフィスビルの建設などといった街の姿の変化が起こったのは1990年代のことである。

 都道480号起点

 天王洲アイル交差点。手前側の高架が首都高速1号羽田線で、その奥に見えるコンクリート高架が東京モノレールである。

 モノレール(と、りんかい線)の天王洲アイル駅は撮影位置から向かって左側すぐの場所にある。りんかい線(2001年開業)は地下を、モノレールは高架を通るため両者の乗り換えは非常に面倒くさい。
 左折:品川ふ頭
 直進:r480 品川ふ頭
 右折:湾岸道路 首都高速 浦安

 交差点を直進し、r480のトレースを開始する。目の前にある橋梁は京浜運河を越えるものであり、その先の道路交差点についての案内標識がある。

 しかし、左折と直進がどちらも品川ふ頭とだけ書かれており、情報量が少ない気が。
 京浜運河を渡る橋(名称不明)。船舶の航行を考慮しているのか見ての通り結構勾配がきつい。

 橋を渡ると住所表示は港区港南5丁目となる。埠頭や発電所など品川という名が付いているが、自治体としては港区に位置する。JR品川駅も港区にあるわけだし特に気にすることではない。
 橋を渡ったすぐ先に案内標識で予告されていた交差点がある。

 実はr316の支線がここから右方向に伸びている。首都高大井JCT付近でR357湾岸道路と交差するまでの区間がr316に指定されており、湾岸線大井ランプや湾岸道路経由で羽田空港方面にアクセスするのに便利だ。

 交差点の奥にある高架は大井車両基地に向かう東海道新幹線の線路と在来線規格の東海道線貨物支線が並走している。
 高架を潜ってすぐ道路は左へカーブする。この辺りからいよいよコンテナ埠頭らしい雰囲気が漂う。

 ちなみに、画像撮影位置の右側には、東京電力品川火力発電所という発電所がある。天然ガスだけを燃料とするこの発電所の最大発電量は114万kW。23区全域における7月の平均的な電力需要(最大750-850万kW)の15%を賄う能力を持つ。
 交差点の対角に日本通運のなにやらでっかい施設。この交差点を右折すると広大なコンテナ置き場の向こうに貨物船が停泊・貨物を取り扱う岸壁とコンテナクレーンが存在する。

 ストリートビューで見たところ、コンテナ輸送の活発な平日にここを訪れるとトレーラーでごった返しているようだが、この日は休日とあって見ての通り対向車すら稀であった。

 停止線の白線が消えているあたり、負荷の大きい大型車の交通がいかに多いかが読み取れる。
 コンテナヤードと倉庫に囲まれる。左側のコンテナはこの日は4段重ねになっていたが、繁忙時はこれが5段6段と高く積まれているようである。すげえ。

 品川コンテナ埠頭は日本の中でも歴史的なコンテナ埠頭であり、国際海運を担う東京港のうちでも重要な施設である。現代の国際海運においてコンテナ輸送は非常に重要な位置付けにある。なぜなら、海上輸送のうち石油類・鉱石類・木材・自動車などを除いた品物は全てといっていいほどが一旦コンテナの中に詰められ、海を越えて我々の元に届くからである。
 引き続き道路を走る。r480は全線に渡って片側3車線・全幅40mの高規格で整備されている。しかし、この辺りは当然ながら運輸関連企業のオフィスやコンテナ置き場、駐車場、発電所や清掃工場といった事業所が中心であり、商業施設や住居が殆どないので休日はご覧の有様である。

  国際海運にコンテナを用いるメリットは、統一された規格の箱であることから、運輸機関を跨いだ複合一貫輸送を簡単に行える点や、丈夫なコンテナの中に貨物を収納することにより損傷を防いだり、安全な輸送を実現できる点にある。
 画面右ちょっと奥に見える斜めに配置されたビルが、東京入国管理局という法務省の地方支分部局がある。名前の通り外国人の出入国や在留・難民認定などに関わる業務を行う。多くの日本人にはあまり関わりのない役所かもしれない。

  コンテナ談義の続きだが、コンテナ輸送の一翼を担うコンテナ船の係留を目的とした埠頭をコンテナ埠頭といい、貨物の積み下ろしをするガントリークレーン、コンテナを一時的に保管するコンテナヤード、運輸事業者の詰める管理棟などの施設がある。係留する船の規模や貨物取扱量に応じてクレーンの数やコンテナヤードの広さは様々である。
 運輸事業者街を進んだところで、突き当りに見える清掃工場がだんだん近づいてきた。

  品川コンテナ埠頭は全長555m、岸壁-10m、13列クレーンx3、12列クレーンx1という設備で、1万5000トン級の船に対応したターミナルであり、韓国航路の船舶が主体となる。また、コンテナ埠頭の北側の岸壁はクレーンを備えない外貿雑貨埠頭、北海道航路向きの内貿雑貨埠頭が並んでいる。
 直進:海岸通り

 目の前に港清掃工場が見えてきたところで、都道は左へカーブする。この地点から目の前の清掃工場に向かうには、一旦左の側道に入って都道の下を潜る必要がある。
 港南大橋という橋梁に入る。天王洲アイル側の橋よりも大規模な感じ。
 港南大橋にて京浜運河を再度渡ると、再開発により建設されたタワーマンションが林立する港南4丁目地域に入る。
 左折:r316/海岸通り 天王洲
 直進:r480 品川駅東口
 右折:海岸通り 新橋

 JRの線路を潜ったところで案内標識と交差点。天王洲側と違って、r480は海岸通りより西側にも少し続く。
 東京モノレールと首都高を潜ると、コンテナヤードではなく高層マンション街に入る。といっても、道路が広く植栽も充実しているので人の気配や交通量をあまり感じない。

 街並みは見ての通り超近代的だが、画面左に写る港南中学校は1963年に都営団地建設に伴い開校した比較的古い学校である。この地域の埋立は1853年のペリー対策である台場の埋立に始まり、1912年からの隅田川口改良工事、1931年からの東京港修築事業計画、そして戦後の(?)品川埠頭埋立といった順に行われ、現在の姿をしている。
 しかし、めちゃめちゃ交通量少ないよなぁ。

 この画像の撮影位置(港南3丁目)と、後述の高浜運河の対岸(同1丁目)はどちらも戦前の埋立地だが、それぞれ異なる計画によって埋め立てられた土地である。
 ここで、新港南橋にて高浜運河を渡り、港南1丁目へ。高浜という名前はこの地域の元々の名称であり、輪の海であることが由来のようだ。運河以外では、保育園の名前などに残されている。
 左折:r316/旧海岸通り 昭和島 平和島
 直進:品川駅東口
 右折:旧海岸通り 新橋

 新港南橋交差点の案内標識。先ほどの交差点もそうだが、右折方向もr316である。

 ちなみに、案内標識よりも左に見えるでっかいガラス張りのビルは、国内2番手の大手電機メーカー、ソニーの本社である。高さ99.4m、延床面積162,887平方メートルの広大な「箱」のような、スタイリッシュなビルが立つこの土地はかつての工場跡地でもあり、現在はソニーの本社機能の所在地となっている。

 都道480号終点

 1つ上の画像よりあまり進んでいないが、交差点の様子を撮影してトレース終わり!
Impressions
 今回紹介した品川埠頭線は、他の道府県でいう「港線」に近いポジションであり、港湾までの自動車アクセスの主要経路として指定されるようなものである。

 品川埠頭は戦後埋め立てられた土地であるが、コンテナ埠頭としての歴史が古く、また、規模もそこまで大きいものではない。このレポートからもわかる通り、大井や青海といった東京港の最主要なコンテナ埠頭と比較して高層マンション群や商業地域に近く、生活感を感じる埠頭である。

 また、ふと運河を見渡すとそこに昭和の港町東京の雰囲気が残る、そんな場所なのかもしれない。

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 特になし。


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最終更新日:15年7月5日 inserted by FC2 system