お金のかからない都道府県道めぐりの方法として、徒歩や自転車といった手段がある。とはいえ、歩道をパシャパシャ撮るのはつまらない。徒歩でも安全なほど交通量の少ない道路は郊外まで行かないとない。じゃぁ歩道のない狭隘道路ならよくね?ってことで、近場で見つけた狭い都道を歩いた。

データ

  • 起点:練馬区北町八丁目付近(R254交点)
  • 終点:練馬区豊玉南二丁目付近(r318環状七号線交点)
  • 延長:4.92km(キロポスト換算)
     道路調書には4821mとあるので、キロポストとの差は交差点での他路線との重複かもしれない。
  • 沿線:東武東上線下赤塚駅、東京メトロ地下鉄赤塚駅、西武池袋線練馬駅 など
  • 走行区間:全線(起点→終点)、14年9月10日
     北町とは練馬区内の字名の1つである。この都道の起点は隣町の田柄との境界線上にあり、また、1932年以前の旧町村でみると赤塚村・下練馬村・上練馬村の境界にあたる。豊玉も同様に練馬区内の字名の1つであるが、終点の位置は中野区丸山との境界に近い位置となる。
     また、この道路はかつての府費支弁道の1つ埼玉道の一部に相当し、戦前の写真を見てもその存在をしっかり確認できる。


  • 目次

     東京都道442号北町豊玉線 レポート第1部 [環状七号線交点(終点)→石神井川交点]
     狭い都道を求めてやってきたのに、最初だけ普通の2車線路だった。しかし、途中できちんとした狭隘路に。周囲の地形や土地利用の変遷を考えると、やはり都道となるべき要素を備えている道だった。

     東京都道442号北町豊玉線 レポート第2部 [石神井川交点→国道254号交点(起点)]
     23区西部を南北に進む道はとにかく足りていない。狭い割にタクシーの抜け道になっているのが気になった。


    レポート

     終点全景

     野方駅より環七を北へ1km弱。中野区から練馬区へ入った直後に環七から分岐する道路が、今回「歩く」都道北町豊玉線である。
     下へ降り、第一車線に足を突っ込んで(もちろん安全は確認)撮ってみる。

     都道442号終点

     左に分岐する道がr442北町豊玉線、広い方の道はr318環状七号線となる。

     跡形も無いが、この辺りを江古田川なる川が流れていた。
    >  路線の全貌。現在位置は一番南側の赤印の近く。デフォルトでの表示がちょっと引き気味になっているので適宜拡大してみてください。

     より大きな地図で 都道442号北町豊玉線 を表示
     起点交差点をもう一度俯瞰してみる。r442(左の方)は練馬駅方面までほぼ一直線である。
     交差点右側車線に終点標を見つけた。水色のまん丸い「物体」で、高さ20cmくらい。草が邪魔で最下段の路線番号(特442)が隠れているが、最上段の終点の文字が読み取れる。
     なおこのタイプの道標、キロポストの役割をするものは中段に距離が書いてある。この画像と同様終点の役割をするものでも距離(兼路線延長)が示されているものもあるが、この路線のは残念ながら空欄である。
     終点から北へ進む。左側ガードレールの内側に古いコンクリ製の壁のようなものがあった。特に何かの意味のあった構造物ではなさそうだが。
     中/低層マンションが軒を連ねる、これといって変哲のない23区内の風景が続く。バスは通っているが、交通量は少なめ。
     東武ストアが登場。スーパー一軒あるだけで街の景色もちょっと違って見える。
     ここから「こうしん通り商栄会」に突入する。
     北に向かうに連れ風景がやや時間逆行してく気がする。商店をやっている家の姿ががらっと変わることってあまりなくて、商店街というのは(商店自体が生きていれば)保存された景観を生むように思える。

     ただし、この交差点ではそれ以上に大型貨物等通行止の標識が目を引く。標識のシルエット的に4tトラックとかダメなんじゃね?と思うが、この標識で規制されるのは車両総重量8t以上or最大積載量5t以上の貨物/特殊自動車なので4tトラックは問題ない。 
     豊玉北五丁目北交差点。信号機が渋い。

     この次の交差点が目白道理との交差点になる。
     目白通り交点

     r8目白通りと交差する。九段下から飯田橋、目白、江古田を通り大泉方面へ向かうこの通り、写真向かって左側に曲がると関越道の練馬ICに接続する。
     目白通り交点-千川通り交点では警察署、消防署といった公的機関や各種金融機関などの支店が沿線に存在し、区役所こそ沿線にないものの(区役所は目白通り沿い)練馬区の中枢といった雰囲気を醸し出す。
     消防署のあるべき位置でビル工事をしている。建て替えのようだ。

     奥に見える交差点が千川通りとの交差点。交差点と現在位置の間にr442のヘキサがあるのがお分かりだろうか?
     r442のヘキサ発見。

     特例都道のヘキサは主要道でなくともなんだかんだいって路線に1箇所はあることが多い。ただ、たいてい起点とも終点ともあまり関係なさそうな位置に補助標識もなく単独でポツンと置かれており、トレースの助けにはならない。それでもトレース中に見つけると嬉しいけどね。

     ちなみに、一般都道のヘキサは2014/10現在設置されていない可能性がある。確かに僕自身そしてネット上でも見たことない。
     千川通り交差点(千川通り側から撮影)。r442は画面手前左端から右端へ抜けていく。

     千川通りの由来は、暗渠化された千川上水に沿った道路であることによる。同じ由来の同名の通りは椎名町-上石神井間(r439)と小石川-西巣鴨間(r436)の2箇所にあるが、この2つの道路は連続していないことに注意が必要である(一般的に千川通りと言うと前者を指す)。どうでもいいが後者は管理人の現住所にちょっと近い。

     そしてこの交差点を通過すると!?
     狭隘区間突入!

     これで車道に出ずともまともな写真が撮れる!

     上をまたぐ高架は西武池袋線の練馬駅である。練馬のおばさま御用達のブティックと西友の裏口が両サイドから「攻めて」くるこの道路、商店街の裏道って感じである意味都道らしく都道らしくないのが良い。
     西武線の高架をくぐったが、駅はここから左手に7,80mいったところに主な入り口があるのであくまで裏道である。速度制限が20にまで落ちてるのもいい。ちなみにこの区間は北行き(上り線)一方通行である。
     Q:都道はどっち。
     A:直進。

     路側帯スペースが色分けされているので歩く分には怖くない。というより23区内のこういう道路は自動車があまり多くないので歩行者優先であることが多い。見た感じ軽1.7台分くらいの幅。
     ここは弁天通り商店街になる。同名の商店街は全国いくつもありそうだが、一応ここはGoogle検索で2,3番目くらいには来る(一番は前橋の。妖怪なんちゃらのCMで有名)。毎月8,18,28日は特売日。
     いかにもな雰囲気のたばこ店が斜め右に。店は開いているものの、菓子やらパンやらが入っていそうなショウケースにはシィトが被せられ、開店休業の様相を呈してゐた。

     この交差点を左に曲がり、少しばかり入つたところで右手にある細い路地を進むと、弁天様が居らつしやるやうである。この弁天様は恐らく商店街の名前の由来であり、旧地形を考える「ヒント」ともなつた。
     弁天通り商店街の北端に到達。まっすぐか、それに一番近い道を進めばいい。/td>
     練馬二郵便局前。ちょっとだけ新旧混合した住宅地のような感じ。

     写真では実感しにくいかもしれないが、先ほどの「たばこ屋の角」あたりからこの道路は妙に曲がりくねっている。しかも、西側に家1,2軒入った側に都道と平行する路地があり(既に怪しい)、暗渠のような見た目をしている(非常に怪しい)。この地点にかつて、小さな川が並行していたと考えるのが妥当だ。
     この写真は、地理院地図よりダウンロードした1948年米軍撮影の練馬駅-新大橋の現r442沿線の航空写真である。r442を橙線で、河川と思われる谷筋(不鮮明だが当時の時点で水が枯れている)を青線で示した。なお回転を加えているため左が北であることに注意されたい。

     オンマウスで解説を加えた図を表示する。

     青線の付近の田畑の区割りから、谷筋に水田があると考えると考えるのが妥当かもしれない。タバコ屋の少し西側には弁天があると先述したが、弁天は水に関する場所に祀られることが多いことからこの地点に湧水があった可能性がある(もしかしたら図のようにより上流が存在した可能性もあるが、地形的には弁天が谷の最上流)。

     明治の地形図でも河川の記号はなかったというが、それ以前、この道は谷際の道で、谷の底には綺麗な水が流れていたと想像できる。
     この谷跡について、こちらのブログ記事で詳しく紹介されている。暗渠の世界は奥が深そうだ。
     21世紀の練馬に戻る。弁天通りは大門通りと名を変えて北上する。勾配は進行方向に向かって少し下り坂。
     都内で都道かどうかを判断する方法はいくつかあるが、その一つが街路灯などの設備についた管理標識である。イチョウマークと路線番号がしっかり表示されている。安心安心。
     ここまで来ると、先ほどの小河川(先ほどのサイトでは弁財天支流とか言われている)からはだいぶ離れる。
     ディースタイルは回れ右。道路はちょっとだけ広くなっている。なお、このあたり、左側の家の裏は運動場なのだが、一段低い低地である。
     更に進むと明らかな下り坂となる。右側に見えるこんもりした緑の中にはお寺さんがある。ここは右側のほうが標高が高く、左側に向かうに連れ(=石神井川に近づくにつれ)標高は下がる。旧来は畑が広がっていたのだろうか。
     もう少し歩いてみると、右側は高い塀と緑に阻まれる。

     寺社というのは比較的高い土地にある場合が多い。1940年代の航空写真で見ると、このお寺さんが石神井川に向かってせり出した台地の上に存在し、この道路は崖に乗っかって徐々に下っていく道であることがわかる。橋の位置は石神井川が広大な沼地を作った溜まり場のすぐ下流にあたる。この道路はきちんとメインストリートとなることを見越して建設されていたはずだ。でなきゃ都道にもならないはずだ
     右も左も年季が入っていて、時間が止まった感じがする。
     崖を下りきったところで石神井川にぶつかる。この橋は新大橋という。確かに2車線路に出来るだけの広さも確保しているし、実は遠い昔道路拡幅を見込んで作られたのかもしれない。

     地形的にもちょうどいいので、ここで第1部は終了とする。
    感想
     徒歩でも綺麗に撮れるからと消極的に選んだ都道だが、意外に楽しい。そしてレポートの分量が増える。

     古地図を持って歩くのが最近趣味人の間で流行って(?)いるが、戦後直後の航空写真とかと比較しながら歩いてみるのも悪くない気がした。
     僕は暗渠にそこまで興味はなかったが、今回見つけた練馬二丁目の暗渠は、ちょっと様子を見てみたいと思った。この周辺の原地形がどのようなものであったか、田畑の間を走るこの道をリヤカーが走っていた頃はどんな景色だったのか、どんな水だったのか、気になるところである。

    関連
     東京の水 2009 fragments 石神井川豊島弁財天支流(仮称)
     このページ後半で語られた谷跡について、実際に暗渠の上を歩いて記録を取った方がいらっしゃったので、当該記事にリンクさせて頂いております。都道から1本入るだけでだいぶ風景が違う。

     東京都道442号北町豊玉線 レポート第2部
     石神井川を渡って更に北へ向かう。住宅地に混じって狭そうに存在する耕作地が、かつてのこの地の風景を想像させてくれる。


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    最終更新日:14年10月16日 inserted by FC2 system