| 東京都道462号 蔵前三ノ輪線 |
起点: | 台東区蔵前四丁目(R6交点) |
終点: | 台東区三ノ輪一丁目(R4交点) |
延長: | 2,810m |
沿線: | 都営地下鉄蔵前駅 銀座線田原町駅 つくばエクスプレス浅草駅 浅草寺界隈 日比谷線三ノ輪駅 など |
走行: | 全線(起点→終点) 2015年5月5日撮影 |
都道462号起点直進:r462 三ノ輪右へ:R6 柏 言問橋 国道6号/江戸通りを言問橋通り方面へ走る。r315/蔵前橋通りとの交点の直後、r462が分岐する。 |
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交差点にある「島」にはお決まりの交通安全標語と、通り名入りの「そとば」標識が設置されている。 | |
右手に「ホテル蔵前」という渋いホテルが見えるこの交差点。左に入ると「精華通り」という小さな区道が分岐する。 台東区は昭和63年から「区民生活の利便のため」に区道に通称名を付けていたが、平成21年、更に小さな道路に対しても「愛称」を付ける事業を行っているとのこと。精華通りは後者、「愛称」にあたる。 |
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左折:r453/春日通り 御徒町 直進:r462 三ノ輪 浅草 右折:r453/春日通り 厩橋 都道453号/春日通りとの交点が近づく。この辺りの通りで、上野以西に抜けれる道路は春日通りか言問通りぐらいしか無いので要注意。 |
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交差点の様子。広い。 この交差点を境に周辺の地名は蔵前から寿に変わる。右前方のブロックは交差点名と同じ寿三丁目といい、幼少期の夏目漱石が住んでいた記録があるらしい。 |
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寿の街並みを北上する。r462国際通りは寿を東西に2分する。この地名は1870年、石浜町、真砂町、黒沢町、福川町の四つの町が合併し、縁起をかついで「浅草寿町」と名づけられたとのこと(現在の寿三丁目と四丁目のそれぞれ一部:Wikipedia)。以後、昭和9年、昭和39年の2回の区画再編に伴い現在の町域になる。 | |
左折:r463/浅草通り 上野 直進:r462 三ノ輪 右折:r463/浅草通り 駒形橋 寿町四丁目交差点の予告。横切る道路、r463/浅草通りの地下には東京メトロ銀座線が通っている。 |
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先ほどまでは閑静な街だったが、この先は浅草の賑わいをだんだん感じるようになる。交差点の横には銀座線田原町駅への入口が存在する。 | |
浅草通りを過ぎると、左側が西浅草、右側は雷門という町名になる。 | |
直進:r462 三ノ輪 右折:吾妻橋 雷門通りとの交点。右折すると賑やかな観光の街浅草を通り抜け、あの雷門前を通過。更に進むと吾妻橋にて隅田川を渡る、浅草観光の主要な「ストリート」の1つだ。 |
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交差点の様子。色落ちした「雷おこし」が味わいを出している一方、背後にあるガラス張りのビルが非常によく目立つ。こうした光景、時代の流れを感じることだなぁ。 | |
浅草の賑わいを脇目に更に道路を進む。この辺りの都道462号は国際通りという通称が付いているが、それは1982年まで存在した浅草国際劇場にちなんだものである。 かつて浅草は劇場や映画が多く立地する街であったと聞くが、伝法院通りや仲見世通りなど商業的な「下町」要素が強くなりつつある現在はその面影を残すのみになりつつあるのではないだろうか。 |
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国際通りの交通量は多くないが、大型連休後半のこの日、浅草の中はかなり混雑しているように見えた。また、撮影後に自転車でここらを通りかかった時、煎餅やお団子でも焼いているような匂いが漂ってきたのが印象に残っている。 右手に見える大きなビルがROXという商業施設である、以前はこの場所には幾つもの映画館が密集していたが、全て閉鎖・建て替えられ現在に至る。 |
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画面左に写る大きな建物が浅草ビューホテルであり、かつての浅草国際劇場の跡地である。 この辺りでは道路の真下につくばエクスプレス線浅草駅が存在する。同じ浅草駅でも東武や地下鉄の駅からは歩いて地上で10分かかる(あちらは吾妻橋のたもと)。そのため、同名の駅でも乗換駅として案内されていない。 ちなみに、先ほど通り過ぎた田原町駅だとこちらの浅草駅から地上で5分程度(地下の時間は考慮せず)となる。 |
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先ほど通り過ぎた浅草ビューホテルの真向かい辺りが浅草公園六区と呼ばれる歓楽街にあたる。 明治期に常盤座という劇場が開業したのを最初に東京有数の観光地に発展、震災や戦争の被害を受けるも再建を繰り返し、戦後も芸能の一大拠点として盛り上がりを見せた。しかし、1960年代以降、渋谷新宿などの発展とともに衰退の一途をたどる。2015年現在、マルハンや松竹などによるエンターテインメント施設の開業により再興を目指すも、どうもうまく行っていない様子。今後の先行きが不安だ。 |
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r319/言問通りとの交点。 直進は従来通りr462三ノ輪方面、左折すると入谷、右折すると言問橋に繋がる。言問通りは比較的他地域とのつながりの良い道路で、国道6号線四つ木方面に合流するにはここで右折、上野をパスして根津・本郷方面へ抜けるなら左折。 |
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直進すると交通量は更に減る。 | |
道路は一旦カーブし、やや斜めに走る。辺りはマンションの林立する閑静な住宅街・・・?である。 | |
この交差点、あるいは少し先の西徳寺前交差点で右へ曲がると、日本最大のソープ街吉原に繋がる。 吉原は1617年江戸幕府によって許可された吉原遊郭(旧吉原:現日本橋人形町)に端を発する。その後、1657年の大火により日本橋から当時田んぼだった浅草千束に移転、以降江戸末期まで江戸最大の繁華街として、文化の発信地として繁栄する。明治期以降、吉原遊郭は縮小、そして昭和32年売春防止法の施行により遊郭は消滅した。現在はソープランドとして特例措置下で営業を続ける店が多く存在する。 |
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道路は吉原をかわすような斜めの道路から一転、また向きを変える。 | |
道路は大都会らしい広い幅を保ったまま、終点の三ノ輪まで一直線となる。 かつての吉原遊郭は周辺に対してかなり隔絶されており、出入り口が反対側、現日本堤消防署付近にある吉原大門1ヶ所に限られていた。この場所は現在でこそ道路で繋がっているが、吉原とは無縁な場所である。 |
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台東区にもおしゃれなマンションが林立しつつある。 台東区では総戸数10戸以上の集合住宅の建築に際し、住戸専用面積を25平方メートル以上とするよう条例で定めている。ああした新築のマンションは全てファミリー向けか、ワンルームでも高級な物件かどちらかである。 |
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しかし、連休とあって人も車も非常に少ないもんだ。 この辺りの地名を竜泉という。江戸初期に創建されたお寺の名前がその由来と歴史ある地名だ。ちなみに、この地域は1893-94年に樋口一葉が居住し、「たけくらべ」の舞台となったことでも知られる。 |
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三ノ輪交差点 草加 11km 千住 3km R4との交点、三ノ輪交差点が近づいてきた。 直進するとR4下り線に合流し、千住・草加・r306経由王子方面に向かうことができる。都心方面は左折だが、この先で左折するよりは撮影位置の手前で左側に左折用道路が分岐するのでそちらを利用するのが良い。 |
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都道462号終点r462の事実上の終点。というのは、Wikipediaによるとこの都道の終点は右斜に進んだ先のR4/r306交差点(大関横丁)であると記載されているためである。しかし、この先はどう見ても国道4号が上位となっており、重複にしてもその距離は僅かであるためここを都道の終点として扱うことにする。 そんなわけでr462のレポートはここで終わり。 |
Impressions
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この都道は台東区内で完結する唯一の特例都道である。 また、数少ない一桁国道との交差点が起点終点となっている道路である。 今回走った蔵前、浅草、千束といった地域は江戸時代から市街地などとして発展しており(この『など』がこの辺りでは異質だが)、非常に歴史的背景が分厚い地域である。といっても400年程度のレベルなので、京都や奈良などとは全く勝負にならないが・・・ この地域は浅草公園六区、吉原、と歴史的に江戸/東京最大規模を誇った繁華街を抱えた地域である。様々な人の人生が存在し様々な文化を発信し、奥深い歴史を持つこれらの繁華街は政変や震災、戦災に影響されながら姿を変えてきた。現在では歓楽街としての性質を23区西部の新宿や渋谷池袋に譲るも、浅草寺や合羽橋、そして押上を中心とした観光街として人々を楽しませている街である(吉原もソープ街としての一面がある)。 浅草は増え行く外国人観光客にとって知名度の高い訪問地でもある。「下町」「江戸」の風情を観光資産とした再開発が行われ、まだまだ注目を浴びている地域である。この街は、将来どのような変化があってもきっと人々を集め、楽しませる街であるだろうし、周辺地域も東京に働く多くの人々が住む場所として高い価値のある場所に違いない。 私は台東区から比較的近いところに住んでいながら実はあまりこの地域を散策したことがない(せいぜい雷門、合羽橋くらい)。現在となっては少々ディープな印象も伴う浅草界隈ではあるが、一度散策してみるのも良いのかもしれない。 |
Links
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東京都道315号御徒町小岩線 23区東部を東西に結ぶ幹線道路。通称蔵前橋通り。 r462とは直接交差していないが、起点に非常に近いところでR6と交差する。 東京都道453号本郷亀戸線 春日通りの東側を構成する道路。r462とは寿三丁目交差点で交差する。 都道府県道レポート一覧へ戻る 蒼の街道トップページへ戻る 最終更新日:15年10月12日 |