甲州街道から1本外れたところに、少し時代に取り残された香りのする都道がある。角筈和泉町線、かつての玉川上水新水路の真上を通る「水道道路」の1つだ。

Information
路線: 東京都道431号角筈和泉町線
起点:新宿区西新宿三丁目(r副2/r副13交点)
終点:杉並区和泉二丁目(r413交点)
延長:3,677m
沿線:東京都庁 東京オペラシティ 東京都水道局和泉給水所 など
走行:全線(終点→起点) 2015年1月11日、3月13日撮影
Index

 東京都道431号角筈和泉町線 第1部 [終点(r413交点)→ 泉南交差点(r318交点)]
 第1部区間は杉並区内の狭隘区間をお届けする。無機質な名称の「遊び場」、1.7mという強烈な幅員制限、ディープな雰囲気の商店街、そして昭和の香り漂う密集住宅地。

 東京都道431号角筈和泉町線 第2部 [泉南交差点(r318交点)→ 起点(r副2,r副13交点)]
 第2部区間は延々と都営団地の脇を走り、浄水場跡地にあたる新宿副都心エリアの一角へ至る。
 周囲の土地区画や土地の起伏を無視した道路の通り方から水路の名残を感じる。

Report 1/2

 都道431号終点

 r413赤坂杉並線/井の頭通りを都心方向へ進むワンシーン。ここで左斜め(奥側)に曲がるとr431に入る。お分かりの通り、いきなり狭い

 奥に見える大きなタンク状の構造物が東京都水道局和泉給水所/水圧調整所であり、かつての玉川上水の新旧水路の分岐点であった。余談だが、この辺りの水道水の水源はその玉川上水沿いの境浄水場(武蔵野市)ではなく、朝霞・三郷・三園系(つまり荒川水系)の水が使われている。
 というわけでr431のトレース開始。
 一応両方向の交通が確保された車道。横断歩道の「◇」マークが対向車線とちょっと重なってる気がするけど気にしない。

 r431は明治時代に和泉から角筈への通水に用いられた玉川上水新水路(これは導管ではなく開削された水路である)の跡地を走るが、このあたりはまだ水路跡ではない。
 閑静な住宅街の中を走る。
 ここで画面奥、道路が少し左へカーブするとともに、右側に空き地があるのが見受けられる。水路跡と道路が重なるのはあの位置から。
 住宅街の途中から、道路の右側に空き地や公園や団地が目立つようになる。この妙な土地利用が玉川上水新水路の痕跡である。道路右側の用地は空き地、公園、古い住宅地、都営団地といった形でコロコロ形を変えるがその幅はほぼ一定だ。
 この辺りの空き地には遊び場96番という温かみのない名前が付いていた。

 自治体の管理する公園のうち最も身近な「街区公園」は普通計画の段階でありふれた名前が付くため、番号のまま呼ばれる場所はきっと暫定的なものに違いない・・・と思っていたら、杉並区の「遊び場」についてWikipediaの記事があった。考えていたとおり、「区有地、あるいは国・都・民間からの借用地」で「公園に準ずる簡易な設備」を備えた緑地とのことで、公式にも公園と区別されているらしい。遊び場96番の管理は区の緑地事務所だが、土地は恐らく都からの借用地だろう。
 そんな遊び場を右手に進むと、ここで別の街路との交差点。突き当りの「定食 そば」とスーパーカブが何となく懐かしい。

 で、都道はどちらか、おわかりですよね?
 勿論直進

 一方通行
 幅員制限1.7m
 ついでに時間帯車両通行止

 という都道にあるまじき三重苦。なお幅員制限1.7mは明記されている制限値の中でもr423/世田谷区若林の1.3mに次ぐ特例都道ワースト2位の狭さ(個人的調べによる)。
 杉並レジデンスの立派な生け垣とフェンスで囲われた「遊び場96番」の間で、道路は細々と続く。遊び場の方は都道より一段低くなっているのでこちらから様子はあまり見えない。

 こんな狭さでも車道をガードレールで区切ってまで歩行者用の通路を確保しているあたり、人の交通に優しい東京西部の道路事情がかいま見える。
 もうちょっと遊び場96番の横を走る。朝夕は車両通行止めなのだが、流石にこの幅員&一方通行とあってわざわざ通り抜けようとする車は少ない。

 と、ここまでの景色では経験を積まれた読者の方なら「用地が遊んでるから窮屈にも見えないし、別にこの程度、23区西部にお決まりのただの狭隘都道でしょ?」と思われるだろう。しかしr431の本気はまだここではない。なんとなく写真の奥の方を見て察していただきたい。
 遊び場96番の東端まで到達すると、「和泉商店街」と書かれた街路灯が現れるとともに、道路は理不尽なクランクとなる(軽がいるあたり)。

 実はこの都道の撮影は1月に自動車で和泉から角筈まで通り抜けて撮影しようとした(途中で想定外のトラブルが有り撮影を諦め、狭隘部だけ撮り直した)のだが、このクランクの楽しさ(というか難しさ)は、教習所にあるクランクに壁を設置してその陰から通行人がランダムに現れるというカオスな状況だったりする。
 クランクを過ぎるとタイムスリップしたかのように商店街のど真ん中に入る。いやー、なんか都道上に商品が陳列されてるよね。

 和泉商店街は「沖縄タウン 和泉商店街」のキャッチコピーがウリであり、そのメインストリートは先ほどのクランクから甲州街道に向けて伸びるこれとは別の街路で、撮影してある部分はその片鱗に過ぎない。公式によると沖縄料理のお店なんかもあるみたいなので、少しディープな東京体験がしたい方は代田橋駅から是非訪れてみると良いだろう。

 あ、都道は勿論直進です。
 r431はずっと直進なのだが、1つ上の画像を見て分かる通り商店街を抜ける部分で強烈なボトルネックとなる。画像はそのボトルネック部から撮影したもので、通り抜けようとしている乗用車の大きさから道路の狭さが窺えるだろう。

 幅員制限1.7mというのは大体の5ナンバーサイズの車の幅員と大体同じ幅である。この都道の凄いところは、用地が広いのにバリケードを設置した「幅員制限」ではなく、ガチで用地が狭いので1.7mという制限がかかっているところである。
 軽トラサイズの収集車に追いぬかれたが、人vs軽のすれ違いでもかなり微妙な幅員。

 この風景がr431にしか見られない独特さを醸している。幅員以外の理由として、まず道路が古く路側帯を示す線が描かれていない。というか道路の端がわかる構造物(排水溝や縁石)がない。また、この道路沿線の建物は昭和というより戦後を彷彿とさせるような古い建物が密集している。
 現在地付近の地図(航空写真)。赤いピンのあたりが現在地。都道の沿線だけ古い建物が残されているのがわかる。そして航空写真上に緑で書いた補助線を加えて見ると、同じ幅の「帯」が環七の向こうにも「遊び場96番」の方向にも同じ幅で連続しており、最狭部の古い建物や商店街の建物もその帯を乱すことなく並んでいるのがわかるだろう。

 つまり、タイムスリップしたかのようなこの住宅地は水道の跡地に建てられたものであると考えられる(その経緯は調べていない)。道路も建物も古いまま残っているのは、そうした事情が絡んでいるのかいないのか、周辺の区画整理から取り残されたことが理由と思われる。
 写真で振り返ってみても、ここだけ本当に昭和。右側には立派なタワーマンションが写りこんでいるし、あの突き当りの向こうはエコカーと外車で賑わう環七通りなのに。
 道路脇に軍手やタオルが吊るしてあった。しかしどうしてここだけこんな景色なのか。深い事情がありそう・・・
 そんな超狭隘路も環七通りとの交点で終わり。

 一方通行出口なので車が入ってくることはないが、交差点の構造の都合なのかこちら側から出る車は左折しか出来ない。r431は直進なので、都道を車でトレースするには和泉からここまで走ってきた上で交差点を左折し、環七通りをどこかでUターンする必要がある。
 環七通り交点

 というわけで、r431は環七の向こうの普通の道路として新宿方面に続く。すみません、レポートは2部構成にします。続きは第2部。
Impressions
 この都道の狭隘区間は徒歩でトレースしたが、実はそれよりも前にレンタカーで和泉側からトレースを試みていた。

 が、商店街から環七へ抜けるボトルネック部分に何故か私設バリケード(赤いコーンが置かれていた)が設置されており、そのコーンをどかす勇気の無かった私は別の道を通って迂回したのだった。

 この理不尽な迂回劇の後、走れなかった区間つまり環七手前の最狭部をストリートビューで発見した私は、「どうしてここを走れなかったんだ・・・。」と落胆した。レポートのどこかにも書いたが、他の狭隘都道とは狭さの質が違うのである。

 というわけで杉並方面に用事があったのを利用し撮影したのが2ヶ月後の2015年3月。あの昭和、いやむしろ戦後の香り残る住宅街をのんびり歩いてみた。あの古さがあの距離続いているっていうのは都内ではなかなか珍しいよなぁ。

 次回、第2部は1月に車で走った区間。普通の市街路ですがお楽しみいただければ幸いです。

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 東京都道431号角筈和泉町線 第2部 [泉南交差点(r318交点)→ 起点(r副2,r副13交点)]
 第2部区間は延々と都営団地の脇を走り、浄水場跡地にあたる新宿副都心エリアの一角へ至る。
 周囲の土地区画や土地の起伏を無視した道路の通り方から水路の名残を感じる。


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最終更新日:15年12月19日 inserted by FC2 system