イタドリに覆われたゴーストタウンを進んだ奥にあるのは現役の木造駅舎。こんな哀愁ただよう場所がまだ残されている。その場所は雄信内、かつてこの地に暮らした人々の苦労を思いながら、人のいない停車場線を写真に収めた。

 「蒼の街道」都道府県道レポートNo.100に相応しい、私が最も行きたかった停車場線の1つ。

Information
路線: 北海道道302号 雄信内停車場線
起点:天塩郡幌延町字雄興(JR宗谷本線 雄信内駅)
終点:天塩郡天塩町字オヌプナイ(R40交点)
延長:340m(実延長) 総延長1,622m
沿線:JR雄信内駅 旧雄信内小学校跡
走行:全線(往復) 2015年6月20日撮影
Report 1/1
 雄信内トンネル

 今回はr302のだいぶ手前からレポート開始。コクネップから幌延方面に車を走らせ続けると現れるのがこのトンネル。天塩川に張り出す丘陵をくぐり、国道40号線最北のトンネルでもある。見ての通りの旧規格な感じがいい。
 トンネル内は勿論暗い。タマゴ型の断面もいい。  
 トンネルをくぐって間もなく、雄信内集落に突入する。集落付近でr256豊富遠別線が右に分岐するが、雄信内駅も右である。

 天塩川南岸の天塩町オヌプナイ/雄信内地区は問寒別などと同様、Aコープや郵便局、小中学校といった集落としての機能が揃っている。
 r256交点を右折。何やらゲートなどなどがあるが、この先険しい地形を走るわけでもないのでそこまで気にしなかった。
 r256豊富遠別線は天塩町をパスし道北内陸部沿いを走る48.7kmのロング道道だが、今回は僅かに走る程度。
 雄信内大橋

 本日7度目ぐらいだろうか、天塩川を渡る。
 橋の作りは川を跨ぐ場所のみアーチ橋になっており、この数十分前に走っていたr395問寒別停車場下国府線と似ている。

 ただ、こちらの橋のほうが広いのと、塗装の状態などが良く新し目に見える。
 直進:r256 豊富 幌延
 右折:r302 雄信内駅

 天塩川を渡ってすぐにその停車場線は分岐する。停車場線が分岐する場所としては随分人の気配が無いが・・・

 道道302号終点

 交差点の様子。直進がr256で、右折がr302。見ての通り、この先豊富町まで接続しているr256が完全に優先道路である。
 で、右に曲がるとこんな風景。

 この風景だけ見れば、r302とはここから山間部や原野を跨いでどこか別の地域に繋がっている道道だと思うのが自然かもしれない。

 しかし実際はそうではない。r302は停車場線である。それもせいぜい300m程度の。

 つまり、この藪の向こうに、道道の起点となる駅があるのだ。
 セルフサービス地図をここに示す。雄信内の位置確認に。
 ここからは徒歩で道道を探索することにした(実際は駅から終点に向かって上り車線を逆向きに歩きながら撮影している)。

 雄信内市街地、いや、元雄信内市街地にて、終点に立つ道道標識の次に目立つであろう構造物が、この火の見櫓の残骸である。

 察しの付く人なら、この先路肩に茂るイタドリの藪がそう昔からのものではないことに気付くはずだ。
 道路はゆるくカーブするが、その先も見ての通り両脇は藪である。

 時期は6月下旬、これから夏にかけて植物が最も茂る時期だ。
 車道から夏でも確認可能な1軒の廃屋があった。この角度から見ると建物としての形状を維持しているようにも見えるが、反対側から見ると建物は半壊しており、屋根も半分が失われていた。

 こうした廃屋は道北に行くとそこまで珍しくはないが、r302には2015年夏に確認できただけで3軒の廃家屋/商店が存在する。r302雄信内停車場線は、いわゆるゴーストタウン化した廃集落のメインストリートであり、今では最奥にある雄信内駅だけが現役である。
 藪から聞こえる鳥の鳴き声以外聞こえる音はなく、ひんやりとした夕方の気配に私は少し緊張しながら雄信内集落を歩いた。次に見えてくるのは廃商店である。

 尚、先ほどの廃家屋は藪の薄い晩秋or春先であれば探索可能である。私は廃墟趣味ではないので、探索する気もしない。
 2015年6月現在では雄信内集落で最も目立つ廃屋が、この建物である。奥が竹内商店という廃商店で、手前は恐らく店の主人の住宅だったのだろう。

 竹内商店も手前の住宅も撮影時は完全に目張りされていたが、ストリートビューで見ると養蜂家と思われるおじさんが住宅の戸を開け作業をされている様子が見られる他、竹内商店のバリケードが半分解かれているのがわかる。この2つの建物は石造り+トタン屋根(ただし傷みつつある)という作りゆえ、豪雪にもまだ耐えられるはずである。物置か作業小屋として使われているのかもしれない。
 ここで丁字路。r302は左折。

 これまで道路向かって左側に焦点を当てて紹介してきたが、かつては右側にも家屋が並んでいたそうな。あまり念入りに確認していないが、少なくとも私の写真から確認できるような建物はなかった。

 奥の古い倉庫も現役なのかそうでないのかは非常に怪しいところである。何より人の気配がない。
 左折する先の景色はこうなる。

 廃屋の残骸が紛れるイタドリの藪が左側に、古い倉庫が右側に、そして真正面に年季を感じさせる雄信内駅の駅舎。ここまでの旅にお供してくれたレンタカーも写り込んでいるが、これぞ道北といった景色だと私は思う。
 この丁字路には街路灯が設置されている。そして、この街路灯にはわざわざ道道番号入りの番号標が付属している。つまり北海道が設置・管理しているものである。

 街路灯の根本も濃い藪に覆われておりいつ設置されたものか調べる気にもならなかったが、この灯りが駅を除いた雄信内集落唯一の灯りであることに間違いはない。

 道道302号起点

 JR雄信内駅を手前に道路の舗装が途切れる。ここがr302の起点である。

 ちなみに、撮影位置のちょうど左側を見ると藪の中に廃屋らしき残骸が紛れているのがわかる(ストリートビューで)。

 雄信内駅

 駅前広場はただの砂利である。駅舎は大正14年の開業以来のもので、北海道でも珍しくなりつつある木造駅舎である。

 雄信内駅は道内の多くの駅と同じく終日無人駅であるが、冬期は除雪担当の職員が常駐する(らしい)。木造駅舎が残されているのは職員の詰所として今も利用されているからかもしれない。これは冬期に行ってみる必要がありそうだ。
 駅舎内の様子。非常に殺風景である。旅客業務無人化から30年を経た現在、その出札窓口が使われることは二度と無いだろう。

 駅舎は広々としており、無機質な横長ベンチが設置されているなど「駅寝」に向いている環境にも思われたが、訪問時は既に多くの虫が入り込んでいたのと無人地帯ゆえクマの心配もあるため夜間滞在はおすすめしがたい。するにしても責任とマナーを守って。
 駅の掲示板にはこんな地形図が貼ってあった。5万分の1地形図「雄信内」である。

 よく見ると、旧羽幌線の探索地図になっている。どこかのファンが、旧羽幌線の線形と駅位置、ところどころ現況について鉛筆で書き足してあるものとなっている。これに最初に気付いたのは私だが、同伴のあーさー氏も面白がって眺めていた。
 JR
 雄
 信
 内
 駅


 この力強い字も恐らく開業以来のものだろう。ここではこれ以上語るまい。
 駅構内の様子。旭川方を望む。同伴者のあーさー氏が写り込んでいる。

 雄信内駅は見ての通り2面2線の交換可能駅で、2015年10月現在では朝晩の計2回普通列車同士の交換が存在する他、特急との待ち合わせもある模様。
 そんな事情があり、途中下車せずして雄信内駅を鉄道で訪問することは当該列車にさえ乗っていれば困難ではない。しかしながら、今秋JR北海道は宗谷本線名寄以北の列車本数の減便について言及したというニュースが入った。雄信内はますます鉄道で訪れにくくなる一方、秘境度も高まるだろう。
 雄信内駅の駅名票。駅番号W68。またもや「白い花」が咲き乱れており、紋穂内の時と同様、静けさとあいまって人が離れたからこそ人を寄せ付けない「何か」を感じる。隣り合う安牛駅、糠南駅もともに無人駅で、前者は貨車駅舎、後者は板張りホーム駅である。

 糠南と雄信内の間にはかつて上雄信内という駅があったが、利用者僅少により2001年廃駅。

 駅の紹介はリンクに示すあーさー氏のブログに詳しいので私からはここまで。
 雄信内を離れる前にこんな写真を撮っていた。

 これは、集落の入口にあった元消防の火の見櫓、あるいは半鐘の遺骸である。根本には廃墟の瓦礫が残っているようだが、私が訪問した際には確認できなかった。

 雄信内駅は現役だが、集落は廃墟の町であった。このままではいつの日かこの鐘楼が倒れ、半壊していた廃屋が全て潰れ、廃商店の外壁が崩れ、全てが藪に覆われる時が来るだろう。そうなる前にもう一度、ここに訪れたい。出来れば冬に。

 以上、r302のレポートでした。
Impressions
 雄信内停車場線は、来る者に対し何か感情を伴わせる路線である。と私は思う。

 それは日本の最果てに近い場所までやってきた長い旅路のせいなのか、廃屋と藪から成る風景のせいなのか、遅い夕暮れという静かな時間帯のせいなのか、それとも未だ健在な雄信内駅舎の力強さ故なのか。私には特定しがたい(きっと全部だと思う)。

 ただ、写真で振り返ってみると、やはり雄信内は「心に染みる」場所だったことが思い出される。

 Web上で中川町の雄信内/(地名としては雄興)について調べていてわかったのは、、この地も他の道内の廃集落と同様多くの先人が苦労して開拓・定住し、それでも尚時代の移り変わりとともに捨て去ってしまったという過去があったこと。また、現在の姿と比較してつい40年前までは数軒-十数軒程度の家屋が残っており、恐らく定住者もいたこと。※ちなみに、天塩川南岸、天塩町雄信内は様々な機能が集積された現役集落。

 そして、それらの建物や痕跡が徐々に自然に還っていることである。

 駅前の丁字路付近にはかつて複数の家屋があったが今ではよく探さないとわからない。停車場線の南側にも家が並んでいたが今では完全に藪と森になった。
 雄信内駅こそ集落の昭和時代のほぼすべてを見守ってきた当事者の1つであるが、それもここ数年で傷みが進んでいるし、確実に時間の流れがダメージとして蓄積している。

 もし機会があれば、この路線と駅を冬に訪問してみたいと思っている(簡単なことではない)。例え周りから人が消えようとも、駅にはまだ灯りが点るはずである。冬の夜にそれを見てみたい。


 以上、深夜テンション全開でレポートNo.100を書き終えました。
 今後の都道府県道レポートもお付き合いいただけると幸いです。

Links
 北海道道445号 紋穂内停車場線
 こちらは道道標識が朽ちかけた道北の停車場線。雄信内と比べると全然ぬるいがこれもこれで雰囲気がある。

 北海道道395号 問寒別停車場下国府線
 下コクネップと問寒別を結ぶやや長めの停車場道道。問寒別はまだまだ元気な場所だ。

 2015道北ドライブ(その4)|切符、食、時々長旅。 (by あーさー氏)
 撮影の同行者、あーさー氏によるブログ記事。私の辿った旅程は彼の記事を見ていただければ簡単に把握できるだろう。
 リンク先では雄信内駅についての紹介がされており、駅自体についての情報はそちらを参考に。

 日本の過疎地 幌延町雄興(雄信内) (by 成瀬健太氏)
 北海道の廃墟・廃鉱/廃坑・廃村巡りを趣味とされる成瀬健太氏のブログ記事より。
 r302終点付近にある幌延町立雄信内小学校跡など、周辺の様子に関しても紹介されている。この地域の遺構は刻一刻と自然に帰りつつあり、旧小学校の体育館などもう見られないものも多い。


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最終更新日:15年11月1日 inserted by FC2 system